2007年南京大虐殺70年東京証言集会報告から
ドキュメント映画「閉ざされた記憶」―加害の日本軍兵士と被害者証言
12月2日の1時半から日本教育会館で、「南京大虐殺70年東京集会―被害と加害の証言から見える“南京1937”」が開催された。
最初に上映された「閉ざされた記憶」に人々は驚愕した。息の詰まるような生々しい証言が続いた。南京で強姦された女性たちの証言は、実に具体的で、詳細で、つい昨日のことのように語られる。今なお疼く傷跡がそこに広がっているのが見えた。その痛々しい証言と加害兵士の証言が重なる。まさに、当時の強姦する側の兵士たちの証言なのだ。
第16師団33聯隊のある兵士は次のように語っている。「クーニャン探しは分隊や数人で行くことが多いな。見つけるとな、分隊の何人もで押さえつけたんや。それで、女の子を強姦する順番をくじで決めた。一番のくじを引いたものが、墨を塗っている女の子の顔をきれいに拭いてからやった。交替で5人も6人も押さえつけてやったら、そらもう泡を吹いとるで。」「中隊長は、強姦・強盗・放火・殺人何でもやれと言ったで。」
証言する兵士たちに、悔恨も反省のかけらもないだけに、証言の真実さと時の迫真さを浮き上がらせる。「中国人を並ばせて、機関銃でなめるように撃ち殺したで」「予備役で行った既婚者は我慢ならんよ」「女を見たらやったよ。」と言う兵士たちの証言には、実にいかほどの虚偽も感じさせない。戦争だったからしようがないと、恥じらいもなく語るフィルムが、あらゆる虚飾をはぎとり、南京の実相を人々に想像せしめる。このフィルムほど「南京大虐殺まぼろし論」を根底から覆すものはないだろう。この映画は、まさに閉ざされた記憶を呼び覚まし、南京の事実をおおい隠そうとするウソを打ち砕く。
高橋哲郎さん(中国帰還者連絡会)からの提言
「閉ざされた記憶」で語る加害兵士の証言を受けて、中国帰還者連絡会の高橋哲郎さんが問題提起された。「あの16師団の人々が、よくぞ90歳を過ぎて、自分の過去の虐殺の実際を話すようになったとは思いますが、仕方がないという理由で責任を避けています。・・自分の参加した戦争が侵略であって、しかも中国人民に対して、どのような無残な行為を行ったかということについて、自ら発表する、日本の国民に少しでも実態を知らせる、かつての残虐行為を反論の余地のない事実をもって示していただければと思う。」と高橋さんは語った。
そして、中学三年生だった1937年を振り返って続けた。「私は、南京大虐殺の時には、中学3年生で16歳でした。はっきり記憶にあるんですが、南京が陥落したということで、中学校の校庭に夕方集まって、九州の小さな町ですが、提灯行列をやったことを覚えております。万歳、万歳と、町じゅうが歓喜の声でいっぱいになりました。日本国中が南京陥落を祝っておりましたが、その裏側で30万人の中国人の犠牲があったという事実を、誰ひとりとして日本の国民は気づくものはいなかったし、また、想像することもできなかった。当時、『南京陥落』という言葉に胸を震わせて、もう中国は降参するだろうと考えておりました。」
なぜそのような大虐殺が起こりえたのかについて、高橋さんは次のように提起された。
「中国の政府は日本のいうことを聞かない。日本の指導を受け入れられない国、だらしのない国であり、中国人は劣等民族。そのように小さいころから思っておりました。それは、明治以降の日本の教育の結果だろうと考えております。それは、非常に恐ろしいことですが、中国を侵略した軍隊だけではなく、それを後方において支援していた、日本国民一人一人が、提灯行列をした一人一人が、同じような思想を持っていたということでございます。従いまして、その後、軍隊に投入され、皆さんご存じのような、非常に狂ったような軍隊教育のなかで、6ヶ月間過ごしたのち、さらに凶暴性をもって他民族に向かっていった結果が南京大虐殺ではなかったかと、私は思っています。」